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2011年 06月 30日

声を上げる 

junkoさんのブログより、
矢ヶ崎克馬 琉球大名誉教授のお話を聞いた。

☆ ICRP基準は、実はアメリカの歴史的政治的な策略を多いに盛り込んだ基準となっている。
   特に、内部被曝に対しての軽視は恐ろしい。

☆ 風評被害だと云う言葉で、被災地で獲れた食べ物を摂取しようとする行動は危険。
   (国民の感情を、政府に逆利用されている)
☆ 福島で獲れた魚や野菜などは全部国が買い取り、生産者に保証金を出すべき。
   (今の状態で流通していったら日本中が内部被曝する事になる)

☆ 今後、出てくるであろう健康被害に対して、自ら記録を取るり立証できる状態にしておく。


いま、政府が色々な事を隠しているのは目に見える事実であって、こんな国で
早急に、生産者に保証金を出したり、基準であるICRPをECRRに変えたりする事は
ほぼ皆無に近い事だと思う...考えれば考える程、絶望的になってくる。

でも、唯一残された手段は国民が声を上げなくてはいけないんだと思う。
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by naou7 | 2011-06-30 22:16 | No!原発!!!
2011年 06月 28日

解離

香山リカさんの、この記事を読んで、かなり腑に落ちました。

『解離』という、一種の精神的な防御策

震災当時、私も色々な情報が頭の中を混乱させ、この『解離』の状態になっていた。
現実問題、危険なのは解っているけど、どうにもならない。
だから、色々とアドバイスしてくれる人がいたけど
普段と変わらず(いや、普段以上に)仕事に没頭していた。

友人の話で、興味深かかった話がある。
彼女の友人は昔から原発に対して深く不信感があり、
放射能から身を守る為にガイガーカウンターを持っていた。
今回の震災で、そのガイガーカウンターがとても役に立っているので
ママ友達に、逐一報告、今後どうしたら良いのかなどを冷静に話していたという。
しかし、それまでは大変仲良くしていたママ友が
まるで別人のようになり、彼女との交遊を否定するようになったとの事...

私は、この話を聞いた時に、否定したママ友の気持ちが良く解った。
確かに、事実だし危険だって解ってる、一番に子供を守りたい気持ちは皆一緒なのだ。
しかし、その決断をするのには、あまりにも大きな事だと思う。
だから、『解離』してしまったんだと思う。


いまの政治のごたごたも『解離』状態なのだろうけど。。。
もう解離している場合ではないだろうが!!!

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そして、被災地の1日も早い復興を望んではいるけれども
とにかく安全が第一優先!!!
子供や妊婦さん、子供を望む人達には、
なるべく安全な食べ物飲み物を取って欲しいし
海開きは、当分するべきではないと思う。


福島の子どもたちを守るための緊急署名

避難・疎開の促進と法定1ミリシーベルトの順守を

署名はこちらから
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by naou7 | 2011-06-28 11:31 | No!原発!!!
2011年 06月 26日

ひめゆり

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映画『ひめゆり』を観た。
沖縄慰霊の日には1日遅れでしたが、
大変、心に残るドキュメンタリー映画でした。



ひめゆり学徒隊の生存者の方々が、
それまで、語る事すらためらい
生き残った自分自身を攻め
それはそれは想像を絶する
耳をふさぎたくなる様な験談を語って下さった映画でした。

寝る間を惜しんでの救護活動…
まだ15歳の女の子にとって、どんなに心に傷をおったかと
想像するだけで胸が張り裂けそうです…


そして、今まで、この現実を知らなかった自分を恥じる思いでした。


震災と戦争では勿論、違うのですが、
この映画を観て、どこかリンクする部分を感じました。
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by naou7 | 2011-06-26 22:21 | No!原発!!!
2011年 06月 26日

ふたば君

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今日は、年下のイケメン彼氏ふたば君と深大寺デート♪

私達、相思相愛なの(*^o^*)


笹舟を作って、自然公園の池に流したり

蝶々のサナギを観察したり

お互いの近況報告したり

お蕎麦やおでん食べたり
(私達、食の好みも合うのよね)


ふたば君が30歳になったら私は60歳(笑)

う~ん!悪くないかも(苦笑)



男の子って母親にとって
ものすごく可愛い存在なんだろうって実感した1日でした。

常にお母さんを気遣う姿に、私は胸が熱くなる1日でした。


子供って面白いなぁ~
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by naou7 | 2011-06-26 20:57
2011年 06月 15日

Hの部屋

Hの九段下にある自宅にお邪魔させて頂いた。
彼女が19歳の頃からの知り合いで、いまでは私にとって大切な年下の親友
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築40年のその部屋はHの人となりが匂いたつような一室でした。
古いモノをこよなく愛する彼女、まるでパリのアパルトマンような雰囲気。

彼女の自宅で長い時間語り合った
普段、バーやカフェでしか話さないけど、
自宅で語り合うと一層の事、彼女の内面がよく見える。

一般常識とはかけ離れた生活をしている彼女
おこがましいけど、とても魅力的に成長している姿が手に取るように感じられた。
それは、ありのままな自分を受け入れ、決して恥じない、自己を確立したアイデンティティーが輝いていた。

こんなにも美しく強く、しなやかに生きている彼女を見ていると
幸せのありかたに色々と疑問を感じる自分がいる。
世間一般の幸せのあり方とは?
ほんとうの幸せって?
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by naou7 | 2011-06-15 21:49
2011年 06月 11日

カタルーニャ国際賞授賞式 上春樹さん受賞スピーチ

バタバタと忙しくしてしまい更新が遅れがちでしたが
この文章だけは絶対に載せなくてはと思いました!!!

もの凄く感動、共感し、頭の中のモヤモヤとしたものがスッキリとした思いです。
少し長いのですが(若干、私なりに短くしてあります)
是非とも多くの方にお読み頂きたいと思います。

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日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。



ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。


9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)
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by naou7 | 2011-06-11 21:52
2011年 06月 05日

未来を残したい

junkoさんから大変こころ温まるメッセージを頂いた。
前回、junkoさんがいわき市にボランティアに行く際、
私も便乗させて頂き、子供達に絵本や文房具を送た。
私が、幼い頃に大好きだった絵本を子供達にとにかく楽しんで欲しかった。
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その絵本が、いわき市の『くほんじ学童クラブ』に届いた。
そして子供達が、私が選んだ本を満面の笑顔で抱え写真に収まっているではないですか!!!

この写真を見たのが、丁度仕事の休憩中だったのですが
もう、涙が止まらなくなってしまった。。。

子供達の笑顔を見たい!!!と思って送ったけど
実際は自分の方が励まされた思いでいっぱいです。

junkoさん、そしてボランティアの方々ほんとうにありがとうございました。

日本の未来、いや世界の未来の為にも、私は原発はNO!!!

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by naou7 | 2011-06-05 21:10
2011年 06月 04日

濃密な1日

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バタバタしていたら6月に…

月日の流れは恐ろしい程早いですね…

昨日はあらゆるジャンルの映画を
立て続けに観たかのような、めまぐるしい24時間でした。

いやいや、人生色々…
まれにみる濃密な1日。

さっ!作品制作に本気で取り組まなくては…
アイデアが少しづつ固まってまいりました。



写真

赤坂見附『AUX BACCHANALES』にて
貴子姐さんBirthdayパーティー♪
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by naou7 | 2011-06-04 10:11